読んだきっかけ
そもそも百名山にはあまり興味はなく、山に関する書籍なので一通り読んで本棚にしまっていましたのですが、「なぜ山に登ることが好きなのか」と人に問われた時、どう答えたらいいのか、どう説明すればいいのか、とても難しいと思うことがあり、改めて山に対する表現が凝縮されたこの本を読むようになりました。
「なぜ山に登ることが好きなのか」を説明することがなぜ難しいかというと、山の美しさや登ることの楽しさを知っているものの、それを表現する言葉が見つからないからだと思います。写真や動画を見せたり、発生したアクシデントや、登ってへとへとになったことなどを多少誇張して面白おかしく話すことで、多少伝わるのですが、やはり本当に伝えたいことは伝わりません。
最近は登山者のブログやYouTubeが多くなってきたので、そういった人たちの言葉を借りというのも手ですが、登山家であり作家である本書の言葉が、一番分かりやすく、美しい表現だと思います。古い言葉が多いのですが、それだけに素朴で品のある表現ができていると思えます。
読んでわかったこと、変わったこと
この本での山を表現する文章の構成は、その山のでき方やその姿、山に関する歴史、周辺の街や道路、作られた登山道、実際に登ってみて思ったこと、といった形になっています。これを伝えることができれば、登山をしない人にとっても面白い話になるし、山のことをうまく表現できるのではないかと思っています。実際にこのブロクでも同じような構成をとっており、ここで書いたことを人に説明できればいいなと思っています。
百名山で使われている表現
山の気品とは、厳しさ、強さ、美しさ、何か人を打ってくるもがあること。
どの山にも共通するような記述
- すべての頂きには憩いがある(雨飾山)
- どの一つの峰、どの一つの鞍部にも、追憶があり、憧憬があった(火打山)
- すべての湖はその傍らにそびえ立つ山の姿で生きてくる。彼我助け合って秀麗雄大な下式を形作っている例も稀である。天の造形の傑作というほかない(男体山に対する中禅寺湖)
- 雪は山を立派に見せる(火打山)
- 地図の等高線を数えながら登るようでないと面白くない(天城山)
- 確かに竜が天空にのたうっているような趣にみえる。竜は駒に通じる(馬8尺以上を竜という)駒ケ岳の名はそういうところからきたのかもしれない(木曾駒)
山の名前について
- コブシという名前の良さ、何か颯爽とした山を思わせるような名前のせいかもしれない(甲武信ヶ岳)
山の成り立ちや山に関する話
- 丹沢という名前が世間一般に強く印象されたのは関東大震災だろう。その震源地として急に有名になった。(丹沢)
- 鳳凰山のオベリスクにウェストンがクライミングしている。山頂に立ったウェストンは猟師たちから神社立てて神主になれと言われている。 しかし牧師は神主になろうとしなかった(鳳凰三山の地蔵岳)
- 鹿塩から塩川に沿って少し登ったところに塩湯という食塩鉱泉があり、昔はこの地方で食塩の製造が行われていた(塩見岳)
- 水成岩上の純血王土を固守してきた赤石岳に比べると、火成岩の力を借りて高度を上げた穂高や槍や白馬は変節漢であって、ひとり明石のみが太古からの純粋を保持しているというのである(赤石岳に対する小島烏水の言葉の引用)
- 「山は明石、天竜川よ」(伊那の民謡)
- 世界最南端のハイマツ(光岳)
- 荒島岳の正面の谷に鹿の角の型に雪が残り、それを見て九頭竜川の漁師は鮎を捕り始める(荒島岳)
- 「想えば琵琶の湖の 岸の光にまよふとき 東伊吹の山高く、西には比叡比良の峰」(伊吹山 島崎藤村の詩の引用)
- 阿蘇の溶岩の拡がりは、鹿児島県を除く九州六県に及ぶと言われる。分離していた大昔の九州を新しい陸地に形成したのは、阿蘇の爆発の結果だという。この裾野の広大さは富士裾野も遠く及ばない(阿蘇山)
- 信長が海外の薬草を伊吹山で植え、その後貴重な研究の場を与えた(伊吹山)
- 南北に走っている2つの長大な山脈が大峰山脈と台高山脈である。台高山脈とは奈良・三重県境にある高見山から始まって南に伸び、 その終わりに近づく盛り上がっているのが大台ヶ原山である(大台ヶ原山)
山の形、容姿
- 左右にのびのびと稜線を引いた美しい山(利尻)
- 左右にゆったり稜線を引いた(斜里)
- 北に向かって孔雀の尾のようにひろげている目の粗い整斉な等高線(斜里)
- スックとそびえ立つ(大雪)
- ゆったりとしたカーブを持った女性的で優しい山(大雪)
- 下から察したほど単純ではない(岩手山)
- シンメトリーよりデフォルメ、つまり誇張が好まれてしまう(磐梯山)
- 胸のすくような伸び伸びとした線を左右に張って、ほぼ純正なピラミッド(燧岳)
- 広漠として湿原の彼方に遠く白樺の混じった立木がならんで、その上に悠揚迫らず(切羽詰まったところがないゆったりとして落ち着いているさま)といった感じで至仏山が立っていた(至仏山)
- 柔らかな曲線を描いて何となく親しみやすい(至仏山)。
- 優美な紅葉の色彩と、それを引き締めるような峻厳な岩とのコントラスト(至仏山)
- 遠くに猫の耳を立てたようにきちんと2つの耳が並んでいる。その形が実にスッキリして清く鋭く。昔から奥上州の名山とされたわけも納得できる(谷川岳)
- 特別高くはないが品のいい形をしたピラミッド(雨飾山)
- 慎ましやかな可愛らしい山(雨飾山)
- まるで鯨の背のようにその膨大な図体を横たえている(苗場山)
- 均整のとれた山容の気品といい、どっしりと安定した量感といい、伸びやかな裾野の雄大さ(妙高山)
- これほど典型的な円形カルデラも珍しい(妙高山)
- 3月下旬で一点の黒もなく真っ白になる山は、私の知る限り白山と火打いがいにはない(火打山)
- 火打の真価値はそれに近づくに従って発揮される(火打山)
- 高妻山がスックと立っている。スックという形容がそのままあてはまる気高いピナクルである(高妻山)
- 日光群山の盟主にふさわしい威厳と重厚をそなえた山容(奥白根山) ー馬の背のようなどっしりとした山容(皇海山)
- 颯爽と峰頭をもたげ、一気に下の沢まで落ちている姿は、思わず脱帽したいほどの気品をそなえていた(皇海山)
- 一つの抜きん出たピラミッドとか特異の独立峰として注目されるのではなく、その大きな壁全体として私達の眼を驚かすのである(武尊山)
- のびのびと裾野へ引いた稜線であって、おそらくこれほど大きな根張りは、他に例が少なかろう。ゆったりと優美に伸びている様は、胸がすくようである(赤城山)
- ピッケル・ザイル党には向かないかもしれないが、しみじみとした情趣をもった日本的な山である(四阿山)
- それはいつも厖大な容積で、独占的な形で、さらけ出しの肌で、そして頂にはいつも薄い煙を吐いていた。汽車の窓からこんなに間近く、高く、大きく、秘密投げに仰がれる山は、他に例がない(浅間山)
- 関東周辺の山から遠くを眺めると、朝もやの上に鋭く立った峰がる。戸惑った挙げ句、それが筑波山であることを悟るのであった。(筑波山)
- 東側が鋭く切れ落ち、キッと頭を持ち上げた様は、怒れる獅子といった感じをいつも私は受ける。颯爽たる姿である。(白馬岳)
- 山容雄偉、岩稜峻嶺、根張のどっしりとした山が目につく。それこそ大地からはえたようにガッチリしていてびくとも動かないといった感じである。(五龍岳)
- ゴツゴツした荒々しい男性的な力強さをそなえている(五龍岳)
- 越中側の餓鬼谷の底から頂上まで一気にせり上げた姿勢は実に堂々としている(五龍岳)
- 発哺温泉から眺める北アルプスの大観はすばらしい。北峰と南峰の両峰がキッとせり上がってて、その2つをつなぐやや傾いだ吊尾根、その品のいい美しさは見飽きることがない。有り合わせの形容の見つからない、非通俗的な美しさである。粋という言葉が適当しようか。粋でありながら決して軽薄ではない。謙遜な存在であるが一旦その良さがわかるともう好きでたまらなくなる。(鹿島槍ヶ岳)
- 豪宕、峻烈、高邁の風格、それを仰ぐ人の心を高揚させる。なによりその風災の剛毅にして颯爽たる点である。一つの先端を頂点として胸のすくようなスッキリとした金字塔をつくっているのは、この剱岳と甲斐駒ヶ岳くらいであろう(剱岳)
- 鋼鉄のような岩ぶすまは、激しい、険しいせり上がりを持って、雪を寄せ付けない。(剱岳)
- 一個の独立した山というより、波濤のような連なった山といった感じ(立山)
- ただのっそりと大きいだけではない。厳とした気品をそなえている(薬師岳)
- 颯爽とした鋭い形(槍ヶ岳)
- 徳本峠に立ったとき不意にまなかいに現れる穂高の気高い岩峰群は、日本の山岳景観の最高のものとされていた(穂高岳)
- 眼の前ひ開けた、深い広い傾斜、その向こうの巍々堂々たる山、何という男らしい神々しさを持った嬉しい姿であろう(穂高岳)
- 雄々しい岩峰と、間隙に光る純白の雪
- 特異な円錐が高原を圧し、頂上のカールが大口を開けて、雪の白歯を光らせている(黒部五郎岳)
- 青天井の大伽藍の中に入ったようである(黒部五郎岳のカール)
- 常念岳の優雅な三角形ほど見るものに印象をあたえるものはない(常念岳)
- 前山を超えてピカリと光る真っ白いピラミッド(常念岳)
- 濃緑の樹林と、鮮やかな緑の笹原と、茶褐色の泥流の押出と、そういう色が混じり合って美しいモザイクをなしている、しかも四季の推移によってそのモザイクも一様ではない。ある秋の晴れた日、焼岳はまるで五色の着物を着たように見事だった(焼岳)
- 足元からてっぺんまで山全体を一目で見えることも北アルプスでは珍しい(焼岳)
- 位ヶ原からの乗鞍岳の眺めを、私は日本で最も優れた山岳風景の一つに数えている。雄大で単調ではなく、ゆったりと3つの頭を並べたその左端が主峰で、その主峰の右肩の巨大な岩が間延びを引き締めるアクセサリーになっている。それから前景の豊かな広がりといい、胸のすくようにのびてコセコセとした所がない(乗鞍岳)
- 御嶽の重厚に対して、乗鞍には颯爽とした感じがある(乗鞍岳)
- 一個の山として、これだけの図体の大きい存在も稀である。(御嶽)
- この斜線がみごとである。厖大な頂上を支えるに十分な根張りを持って御嶽全体を均衡のとれた美しい山にしている。遠望では裾野まで見ることはできない。前山の上に浮いた上半身(御嶽)
- 北に向かって次第に高さを落としながら広大な裾野となる。いくらか不整形なので人々の目はただその円頂のみの注がれる。この円頂はどこから望んでも端正な形を崩さず。(蓼科山)
- 裾野を引き絞った頭にギザギザした岩の峰が並んでいる。八ヶ岳という名はその頭の8つの峰からきている(八ヶ岳)
- 毅然とした見事な円錐(赤岳)
- ギザギザした頂稜の一線を引いているが、左右はぶっ切れている。あたかも巨大な四角い岩のブロックが空中に突き立っているような一種怪異なさまを呈している(両神山)
- 五丈石は遠望では眇たる一突起で、左右にゆったりと稜線を引いた美しい山容の均衡を破るほどのものではない(金峰山)
- 瑞牆山のユニークなところは、その岩峰が樹林帯と混合しているところである。針葉樹の大森林からニョキニョキと岩が生えているような趣である(瑞牆山)
- 丹沢の特徴として、どの谷も立派な河原をそなえていて、他の山では中流以下に持っているような広々とした河原を、丹沢はすでに上流にそなえている(丹沢)
- 無障碍の空をなだれおちる線のその悠揚さ、そのスケールの大きさ、そののんびりたした屈託のない長さは海の水平線をのぞけば凡そ本邦において肉眼をもって見られ得るべきの最大の線であろう(富士山)
- その標高差をすこしのよどみもない1本の線で引いた例は地球上に他にあるまい(富士山)
- どんな山にも一癖あってそれが個性的な魅力をなしているものだが富士山はただ単純で大きい。それを私は「偉大なる通俗」と呼んでいる。結局はその偉大な通俗性に兜を脱がざるを得ないのである(富士山)
- ゆったりと稜線を引いた饅頭笠の形をした山だ(天城山の遠笠山)
- その主稜は北の茶臼山から南の越百山までの長い間、全くの屏風である(中央アルプス)
- 頂上の稜線が長く、ちょうど舟を伏せた形に見えるので、舟覆山とよばれている(恵那山)
- 釜無川を隔てて仰ぐその山は、河床から一気に二千数百メートルも突き上げているのである(甲斐駒ヶ岳)
- 日本アルプスで一番代表的なピラミッドは、と問われたら、私は真っ先にこの甲斐駒ヶ岳を挙げよう。 この端正な三角錐は、はなはだ個性的な姿勢で立っている。まさしく毅然という形容に値する威と品を備えた山容である(甲斐駒ヶ岳)
- 日本アルプスで一番綺麗な頂上は、と訊かれても、やはり私は甲斐駒ヶ岳を挙げよう。 眺望の豊かなことは言うまでもないとして、花崗岩の白砂を敷き詰めた頂上の美しさを推したいのである(甲斐駒ヶ岳)
- 単純なピラミッドでもなければ鈍重な容量でもない。その姿に軽薄や遅鈍のないところが好きなのである。 スッキリとして品がある。ちょっと見ては気づかないがしばしば眺めているうちに次第にその良さがわかってくるといった山である(仙丈ヶ岳)
- 隣の峰との間に著しい降下がある。遠くから眺めてゆったりとしたスカイラインを引いているのがいかにもおおらかで重厚である。しかも、その厖大な山容が少しも鈍重に見えないのは、 みごとなアクセントがついているからだろう。(仙丈ヶ岳)
- そのアクセントとは山頂部にある3つのカールである。その顕著な刻みが山容を引き締めている。3つのカールは藪沢、小仙丈沢、大仙丈沢、それぞれの源頭が大きく口を開いている。(仙丈ヶ岳)
- 北に遠ざかりて、雪白き山あり(北岳)
- 一つはこの山が謙虚だからである。どうだおれは、といったような抜きんでて人の眼を惹こうとするところがない。奇矯な形態で、その存在を誇ろうとするところもない。 それでいて高い気品を備えている。しかも前山の後ろに、つつましく、しかし凛とした気概をもって立っている。奥ゆかしい山である(北岳)
- 北岳は形がスッキリしていて、屹と天を突くような鋭い頭角をあげ、颯爽として軽薄でなく、ピラミッドでありながら俗っぽくない。 惚れ惚れするくらい高等な美しさである。富士山の大通俗に対して、こちらは哲人的である。(北岳)
- これほどどっしりとした土台を踏まえた峰は稀である(北岳)
- 左右に長い尾根を引いてゆったりした山容が間ノ岳である。その図体の大きいことは日本アルプス第一だろう(間ノ岳)
- 白峰山脈と明石山脈とのジョイント(間ノ岳)
- 塩見岳の特徴は、漆黒の鉄の兜、あるいはずんぐりした入道頭(塩見岳)
- 3000m峰に伍しながら、どこかつつしまやかなところもたいへん私の気に入っている。(塩見岳)
- 白雲を吹き付ける風の中に立った毅然とした姿(赤石岳)
- 悪い沢の山腹をへずってのぼるので、その沢をへずり沢といい、それがヒジリ沢となるい、その源頭をヒジリ岳とよぶようになった。 しかしそんな語源など忘れてしまった方がいい。初めから聖岳という美しい気高い名があったことにしよう(聖岳)
- 3000m峰として最南の僻遠の地にあり、容易に近づきがたいという印象からもきているのだろう(聖岳)
- 一本の太い残雪を刻み込んで、それは悠然とした高山の風格で立っていた(聖岳)
- 真正面に気高く美しく見えた(白山)
- 主峰の御前と大汝を均衡のとれた形で眺め得るのみでなく、白山の持つ高さと拡がりを、最も確かに、最も明らかに認め得るのは、私の街の付近からであった。(白山)
- 日本海に沈む太陽の余映を受けて、白山が薔薇色に染まるひと時は、美しいものの究極であった(白山)
- 冬、一点の雲もなく晴れた夜、大気がピンと響くように凍って、澄み渡った大空に、青い月光を受けて、白銀の白山がまるで水晶細工のように浮き上がっている様は、 何か非現実的な有限の国の景色であった(白山)
- 白山ほど威あってしかも優しい姿の山は稀だろう(白山)
- ゆったりと両側に尾根を引いた大きな山、しかし裏側からみるとマッターホルンのように突っ立ったいかめしい形(荒島岳)
- 能郷白山もよく見えたが、山の気品のある点では、荒島岳が上だった(荒島岳)
- その頂上のみごとな崩壊ぶりであった。東西に長い頂稜は、剃刀の刃のように鋭くなって南面・北面へなだれ落ちている。その北壁が夕日に染められたときの美しさは古陶の肌を見るかのようであった。南壁は晴れた朝の陽でみた。脆い崩壊の一つ一つがクッキリした影を持ち、その上に尖ったピークが突っ立っている(大山)
- いかつい岩山は星生山、堂々とした山容の三俣山、赤茶けた砂礫で盛り上がっている稲星山、中腹に煙を上げている中岳、千里浜から眺めた形は精鋭で颯爽としている久住山(九重山)
- 九重山の最高点に立った時、みなみのかた遥かに、雲海の上に一連なりの山がみえた。その右端のゆるい稜線を左右に引いた品のいい金字塔が祖母山、左端のやや傾き加減の突兀した峰が傾山だった。(祖母山)
- 際立った山容ではなく、ケレンさもなく、奇抜さもない。しかしその滋味は見つめるに従ってじっくりと来る、といった風の山(祖母山)
- 輪をなした外輪山の外側に広がる裾野の大きさであった。それは九重や祖母の下まで来ていた。波野原と呼ばれているが、波野とはうまい言葉である(阿蘇山)
- その茫漠とした原野を一筋の道が貫いていた(阿蘇山)
- 高千穂峰だけは一木も着けず、黒々とした肌であるのも美しい。(霧島山)
- これほど完璧な円錐形もなければ、全身を海中に乗り出した、これほど卓抜な構造もあるまい(開聞岳)
- 豊かな裾野になって四方に展開
- 俗塵を払った仙境に住む高士の面影をこの山は持っている(黒岳(水晶))
- 甲州、武州、信州からその川の源を深く探っていくとどちらからもこの山の頂上にでる、千曲川におちて信濃川となる、荒川におちる、笛吹川に落ちて富士川となる。(甲武信ヶ岳)
登ってみて出会う風景
- まるで山上の大グラウンド(大雪)
- 美しい湖沼風景(大雪)
- スケールが違うことをここに来て初めて感得する
- 気持ちのいい斜面、気持ちのいい幕営地
- 眺望の広闊なことは言うまでもない(十勝岳)
- 霧のベールに見えかくれする池
- 美しい小庭園のような原
- 前景の豊かな広がり、胸のすくように伸びてコセコセしたところがない
- 登り詰めて不意に開けた眼前の風景
- 薔薇色に染まる白山は、美しいものの究極
- 高山植物の褥、要するにふとん(火打山)
- この優大さ、おおらかさは内地では求められない(トムラウシ)
- 森林が霧氷をつけた一面に広がっている景色は、見ごたえのある美しさであった(安達太良山)
- 岩壁に鎧われた山は、公用の氾濫の上に厳として立っていた。(雨飾山)
- 飯綱高原まで広がった濃淡入り混ぜの美しい原(高妻山)
- 火口湖は3つ並んでいて、中央の一番大きいのは湯釜と呼ばれ、白濁した緑色の水をたたてている。その色が実に美しい。まったく思いがけない不意打ちの美しさである。(草津白根山)
- この山だけが骨立無膚でその異様なコントラストが、ますます日本離れしたユニークな風景を呈している。(草津白根山、湯釜の西のピークのことか?)
- 土鍋山、御飯岳などというキッチンじみた名前を持つ、上信国境の連山がよく見えた(四阿山)
- 巨人の手でえぐり取ったように大きく落ち込んでいる(黒部五郎岳のカール)
- 槍から穂高までの3000mの山並みが大自然の壁を作っていた。これだけ大規模な壁は日本には例があるまい(笠ヶ岳へむかう道からの眺め)
- 抜戸岳を経て笠までの間は、全く天然公園のように美しく、ハイマツが褥を指揮、その影に逃げ込む雷鳥の親子も見られた(笠ヶ岳)
- 錫杖、笠、抜戸の連邦がすぐ眼前に広がる。特に笠ヶ岳の金字塔がこんなに立派に見えるところは他にはない。(焼岳)
- ザクザクした外輪壁(御嶽)
- 登りついて不意にひらけた眼前の風景にしばらくは世界の天井が抜けたかと思う、無制限で、荒っぽくて、新鮮。尋常の尺度にはまるで桁が外れている(美ヶ原)
- どちらを眺めても眼の下には豊かな裾が広がり、その果を限ってすべての山々が見渡せる。この頂上から見落とされる山は殆どないと言っていい。(赤岳)
- 四周の大観をほしいままにすることができた(両神山)
- 力のあるどっしりした山容。頂から南へかけての草地に積もった雪があざやかに眺めれれる(雲取山)
- 大菩薩峠から大菩薩嶺にかけて甲州側は広々とした明るいカヤトで、そこに寝転んで富士や南アルプスを眺めているのは全くいい気持ちである(大菩薩嶺)
- 煙をはく大島を初め、伊豆七島がそれぞれの個性のある形で浮かんでいる海が眺めれるし、いつも真正面に富士山が大きく立っている(富士山)
- 何より立派なのは西方に大きく裾を広げて泰然とそびえた御嶽で、東の方には南アルプスと八ヶ岳、南に目を移すと、鋭い岩峰の宝剣岳の右に、空木岳と南駒ヶ岳の二つが背比べをするように並んで立っていた。(木曽駒ヶ岳)
- 磊磊というむずかしい漢字が似合うような岩の群が巨人のおもちゃ箱をひっくりかえしたように散乱して、しかもそれが皆白い花崗岩なのでハイマツの緑と相映じて(お互いに引き立てあって)美しい景色を作っていた(空木岳)
- 薄紙を剥ぐように次第に明るくなって、一面色とりどりに咲いた高山植物が美しかった。(空木岳)
- 南アルプスのシルエットの上に出る、遮る雲一筋ない完全な日の出を迎えた(空木岳)
- 雲海の上に八ヶ岳連峰が横長い陸地のように浮いていた。(空木岳)
- 頂上に花崗岩の玉垣をめぐらした祠(甲斐駒ヶ岳)
- ここから眺めた富士山は、どこの山から眺めるよりも優れている。それは距離と位置が、富士を美しく望むのに最も公的な条件を、この山頂が有しているからであろう(塩見岳)
- 頂上から北へ向かった尾根の、屈託のない伸び伸びした姿勢、頂上から東へ進んで、大岩石の散乱した異様な眺め、更にそこから千枚岳の方へ下る広々とした高原。 あるいはまた、荒川岳から悪沢岳に続く尾根南面の圏谷状の大斜面。 いずれも眼を見張るような風景を持った、個性の強い山である(悪沢岳)
- 広々としているがただの緩慢ではなく、キリッとしたしまりがある。これほど寛容と威厳を兼ね備えた頂上はほかにあるまい(赤石岳)
- 雲の切れ間にしばらく富士山が見えたほか、広い展望は得られなかったが、それでもなんとなく1時間もいて、なおさりがたい頂上であった(赤石岳)
- ハイマツと高山植物に覆われた頂上には幾つかの旧火口があって、そこには紺青の水が湛えられそこに配する雪渓や岩の布置が、天然の庭園のような趣である(白山)
- 登るに従いひらけてくる展望に心を奪われた(伊吹山)
- 琵琶湖に春霞が棚引いて(伊吹山)
- 西の方大峰山脈の峰々を一つ一つ数えることができ、東を振り返れば、すぐに眼科に尾鷲の入江を、小さな島々まではっきり望むことができた。(大台ヶ原山)
- 頂上から南の展望は、打ち重なる山並みばかりだが、日本海側は海と陸の交差した美しい繊細な眺め、彼方には隠岐の島がはっきり見えた。東の方には扇ノ山、氷ノ山らしい連嶺が望まれ、西の方には遠く、3つの瓶を伏せて並べたような三瓶山がひと目でそれとわかった(大山)
- 石鎚山を盟主とする多くの衛星峰を望む事ができた。有象無象の山々の彼方に遠く土佐湾があった。東の方には無数の山波が続いて、その果てに阿波剣山の連嶺も望まれた。(石鎚山)
- あちこちに広がる原。東、西、北の千里浜、尾瀬を小さくしたような美しい湿原の坊がつる、ひっそりと山に包まれた佐渡窪(九重山)
- 尾平へ下る途中から見た祖母東面の眺めはすばらしかった。圏谷状の谷は岩壁で囲まれ、鬱蒼たる原始林がその下を埋め尽くし、岩峰と黒黒した森林の配合は全く天の工であった(祖母山)
- 外輪山の長大な連なりには目を見張った。自然の万里の長城といったおもむきである(阿蘇山)
- らせん状に山を巻いていくのである。東側から南側に回るあたりから上は、ずっと眺望が効くので、登るに連れて次々と四周の風景に接することが出来る。見下ろす景色はほとんど海で、山に登りながらこんなに海の享楽出来ることもまた珍重するに足る(開聞岳)
山の気持ちよさ
- 登山欲を満たす(斜里)
- 楽しい山旅(飯豊山)
- 完璧な蒼空(トムラウシ)
- ガクンガクン膝こぶしの痛くなる(岩木山)
- 美しいタンネの森の処女雪を踏んでいく醍醐味(吾妻山)
- 高原逍遙、つまりあちこち歩き回る
- 1時間ばかりのんびり過ごす(幌尻岳)
- ささやかな山旅を終えた(安達太良山)
- 空は完全に晴れ、秋の日のサンサンと降る中に、わたしたちは1時間半も山頂にいて、周囲の山を数えながら飽きることがなかった。(至仏山)
- 残雪から登山道への接続点を見失い、未知の谷へ軽率に足をいれた(会津駒ヶ岳)
- 石の祠と数体の小さな石仏の傍らに私達は身を横たえて、ただ静寂なときの過ぎるのに任せた(雨飾山)
- 山頂の幸福(黒岳(水晶岳))
- 下から眺めてあんなに美しかったその2つの耳の上に立った喜びで、私の幸福には限りがなかった(雨飾山)
- 底抜けに晴れ上がった秋天の下に、健康な青春謳歌の風景が展開されていた。もう私の頭から文学的・歴史的懐古など跡形もなく消えて、たださわやかな生命の息吹を感じるばかりであった。(大菩薩嶺)
- どこにねっころんでものんびり日向ぼっこできそうな、あたたかい冬陽に包まれていた。(天城山)
- 息を切らしながら森林帯の中の急路を登って、ついに高山帯にでた時の壮快さは格別である(木曾駒)
- 美しい原でブラブラさまよっていると、時のたつのをわすれた。(木曾駒)
- 喘ぎながら高度を稼ぎ、まだ残雪のある絶頂へ達した時の喜びは限りがなかった。すばらしい展望であった。深い沢一つ隔ててすぐ前にそびえる堂々たる赤石岳、東の方には一面の雲海の上に富士山が美しい上半身を表していた(聖岳)
- ハイマツの上に寝そべって、山を眺め、無駄話に浸った。ソヨとの風もなく、6月初めの大気は肌に快かった。 1時間以上も頂上にいて、飽きることがなかった。3000mの頂きで、こんなのんびりと楽しい時を過ごしたことはなかった(聖岳)
- 天は青く澄み、風もなく、この秋の好日に、ただ一人、四国の最高の地に立っているのだ。四国位置円が我が眼中に収まっているような気がした。(石鎚山)
山を想う
- 登る前にその山を望見するのは、登頂を終えて振り替えるのと同様、こころがときめく
- 山々追憶と憧憬
- 山の本を読み山の由来を尋ね山を思慕することも山岳人の立派な資格(鷲羽岳)
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